くすぶるなにか
nayuta
くすぶるなにか 歌詞
振り返る景色の中に
回首追憶的景色之中
いつかみたまぼろしの殘滓だけど
不知何時瞥見過夢幻泡影然而
かつて見たその景色ほど
曾經映入眼簾的景色
心惹くものではなかった
卻也絲毫不能使我動容
手の屆くことなどない
這是無法觸及的
わからないまぼろしだっただけど
也是不曾知曉的夢幻泡影然而
どうしてか手が屆いたら
為何僅僅想要伸手挽留
それはきっと終わりなんだ
一切就被劃上了休止符
いつしか慣れていく
不知何時早已習慣
そうして死んでいく
同時由此逐漸逝去
きっと誰もかもがそうやって
無論是誰都會殊途同歸
何かを手放していくんだ
終究會捨棄某些東西
留まることなく
絲毫不留
——“終幻想”
——“終幻想”
それはそう呼んでいつか消えていく
人們如此稱呼正如其將轉瞬即逝
けれどそんな中にだって
即便如此其中尚存
「くすぶるなにか」があったんだ。
「餘燼未絕的某物」
美しかった、気がする。
如此美麗,難以忘懷。
思い焦がれた、気がする。
令人心生思慕,輾轉反側。
そんな気がする、だけかも。 。 。だけど。
也許。 。 。僅僅是這樣的介懷,即便如此。
それでも気がしただけで。
不過是稍稍留意,即便如此。
思っていられただけで。
僅僅是惹人思量,即便如此。
素敵なんじゃないかなってね、思うよ。 。 。
便能得知這將會是多麼美妙的事情啊
でもだって仕方ないよね
但是這是沒有辦法的事情啊
まぼろしをみていきてきただけど
雖說曾遊歷於夢幻泡影之中但是
それだけが全てじゃないもの
那並不能使我窺得全貌
それだから目を逸らしたんだ
因而視線不再停留於此
いつしか色褪せて
不知何時褪盡色彩
どうでもよくなって
變得怎樣都無所謂
まぼろしなんてそんなものなんだ
夢幻泡影正是如此啊
いつかすり抜けていくのが
總有一天要與之告別
あたりまえなんだ
這是再當然不過的了
——“追幻想人”
——“追幻想人”
かつてそう呼ばれ生きた者たちに
曾經被尚存於世的人們如此稱呼
きっとわたしもならんでいる
我必然也在其中
「くすぶるなにか」を抱えて。
緊緊怀揣「餘燼不絕的某物」。
「くすぶるなにか」よ おもえはまだ
「餘燼不絕的某物」啊 你還沒有
わたしをどこかで繋ぎとめているのか?
將我連繫於某處嗎?
美しく暖かく
如此美麗動人這般溫暖心扉
それで何より暴力的で
然而又何等富於暴力
誰一人わからない
無論是誰都不會察覺
わたしだけが叫ぶそれを
這僅讓我為之撕心吶喊的某物
「くすぶるなにか」よわたしはまだ
「餘燼不絕的某物」啊我還沒有
おまえに觸れても許されるだろうか?
能夠被允許觸碰你嗎?
なにもかもおいてきて
一切的一切都被我擱置
それで今更なんて
因而落得如此不堪
だけどきっと今だって——
但是毋容置疑如今也將如此——
——“続幻想”
——“續幻想”
それは合言葉夢へ続く道
那將會成為暗號連通夢想的道路
そしてきっといつだって
如此一來不論何時
「くすぶるなにか」は燃えている
「餘燼不絕的某物」必將烈火燎原
——ラストオカルティズム。
——最後的神秘主義。
けれどこの手が“それ”に觸れたなら
然而若要伸手觸碰“某物”
きっとまだ終わってしまうのに
明知最終還將被劃上休止符
わたしは今でも今でも——
但我此刻仍然心懷希冀此刻仍然——