檸檬
杉田智和
檸檬 歌詞
檸檬
檸檬
梶井 基次郎
梶井基次郎
いったい私はあの檸檬が好きだ
我大略是喜歡那檸檬的。
レモンエロウの絵具をチューブから絞り出して固めたような
無論彷如將檸檬黃的顏料從管子裡擠出後凝固而成的
あの単純な色も
那單純的色彩,
それから
或者
あのたけの詰まった坊制形の恰好も
那矮尺寸的紡錘形造型
結局私はそれを一つだけ買うことにした
最終我決定買它一隻。
それからの私はどこへどう歩いたのだろう
後來的我又是怎樣走過了哪裡?
私は長い間街を歩いていた
我在街頭走了很長時間。
始終
始終
私の心を圧えつけていた不吉な塊な
壓抑我心頭的那團不吉利的窒塞,
それを握った瞬間から
從我的手握住檸檬的那一瞬間起,
いくらか弛んで來たとみえて
看起來多少有些疏散,
私は街の上で非常に幸福であった
我站在街頭,感到非常之幸福。
あんなにしつこかった憂鬱が
曾是那樣執拗的憂鬱,
そんなものの一顆いっかで紛らされる
被那樣的一顆東西驅散
あるいは不審なことが
或謂可疑之事
逆説的なほんとうであった
便是反論性的真實。
それにしても
說到底,
心というやつは
心這東西是
なんという不可思議なやつだろう
何等不可思議啊!
その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった
那隻檸檬冰涼,冰得妙不可言。
その頃私は
那時的我
肺尖を悪くしていて
肺尖害病,
いつも身體に熱が出た。
身體總在發燒。
事実友達の誰彼だに
其實也曾嘗試握住這個
私の熱を見せびらかすために
那個朋友的手
手の握り會いなどをしてみるのだが
來誇示我發燒的事,
私の掌が誰のよりも熱かった
而我的手掌比誰的都燙。
その熱いせいだったのだろう
也許正是那滾燙的緣故,
握っている掌から
由握著的掌心向
身內に浸み透ってゆくような
體內滲透的那種冰,
その冷たさは快いものだった
是令人心曠神怡的。
私は何度も何度も
我好幾次 好幾次
その果実を鼻に持っていっては嗅かいでみた。
頻頻將那果實拿至鼻前嗅聞,
それの産地だというカリフォルニヤが
其產地的加利福尼亞。
想像に上って來る
我想像著那地方
漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった
漢文課上學的《賣柑者言》
「鼻を撲うつ」という言葉がきれぎれに浮かんで來る
所寫“撲鼻”一詞,
そしてふかぶかと胸一杯に
斷斷續續浮現腦際。
匂やかな空気を吸い込めば
若再深深吸入,
ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった
一口馥郁芳香的空氣
私の身體や顔には
使其充盈肺腑,
溫が血のほとぼりが昇って來て
溫熱的血液就會趁著餘勢,
なんだか身內に元気が目覚めて來たのだった
通達從未深呼吸至充盈肺腑的我的身體和臉龐。
実際あんな単純な冷覚や觸覚や嗅覚や視覚が
其實,那樣單純的冰涼、觸感、氣味、外形,
ずっと昔から
是那樣地契合於我,
こればかり探していたのだと言いたくなったほど
直想說這就是我過去
私にしっくりしたなんて
長久以來一直在找尋的東西。
私は不思議に思える
我感到不可思議——
それがあの頃のことなんだから
因為那是發生在那時候的事。
私はもう往來を軽やかな昂奮に弾んで
我心雀躍,伴隨著一股輕鬆的興奮走在街頭,
一種誇りかな気持さえ感じながら
感覺著一種甚至是誇耀的心緒,
美的裝束をして
腦海裡回想著一個身著亮麗禮服、
街をかっぽした詩人のことなど模樣べては
在街頭昂首闊步的詩人的模樣
歩いていた
的走著。
酔われた手拭の上へ盧せてみたり
我時而將它放在髒污的手巾中,
マントの上あてがってみたりして
時而將它緊貼在斗篷上,
色の反映を量はかったり
以測試其色澤的反射,
またこんなことを思ったり
還這樣想道:
つまりはこの重さなんだな
“原來就是這重量啊!”
その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので
這重量正是我素日里尋膩了的東西;
疑いもなく
沒有錯的
この重さはすべての善いもの
這重量是天下
すべての美しいものを
所有盡善盡美的
重量に換算して來た重さであるとか
造物按分量換算而成的重量—
思いあがった諧謔心から
狂妄的戲謔心竟促使
そんな馬鹿げたことを考えてみたり
我想到如此愚蠢可笑之事
なにがさて私は幸福だったのだ
無論如何,我感到很幸福。