雨聲殘響
蒟蒻
雨聲殘響 歌詞
自分(じぶん)より下手(へた)くそな人(ひと)
尋找比自己更沒用的人
探(さが)して浸(ひた)るの優越感(ゆうえつかん)
沉浸於這般的優越感之中
でもその度(たび)ちょっと自分(じぶん)を嫌(きら)って
但每當這樣做就會有點變得討厭自己
次元(じげん)遡(さかのぼ)って現実(げんじつ)逃避(とうひ)
回遡次元逃避現實
でも良(よ)いんじゃない?
但這樣也不錯吧?
別(べつ)に良(よ)いんじゃない?
就這樣不就好了嗎?
無理(むり)に強(つよ)がらなくても良(よ)いんじゃない?
即使不勉強去逞強也可以吧?
下(した)を見(み)て強(つよ)くなれるのも
向下望就能變得堅強
また人(ひと)だからさ。
因為我也不過是人啊。
五月蠅(うるさ)いもううざい
吵死了真的麻煩死了
くらいにCryを掻(か)き消(け)す様(よう)な
如此將哭泣聲消抹掉似的
世界(せかい)なら抗(あらが)ってたいのに
這般的世界我明明就想要去與之抵抗
降(ふ)り出(だ)した空(そら)の泣(な)き聲(ごえ)は透明(とうめい)で
降雨的天空的哭泣聲卻是透明的
『わかんない、
『我不懂啊,
もうわかんないよ! 』
我不管了啊!』
を何(なん)遍(へん)も。
無數次這樣說道。
僕達(ぼくたち)は存在(そんざい)證明(しょうめい)に
我們為了存在的證明
毎日(まいにち)一生懸命(いっしょうけんめい)で
每天都拼命過活
こんな素晴(すば)らしい世界(せかい)で
在如此美妙的世界
まだ生(い)きる意味(いみ)を探(さが)してる
繼續去探求活著的意義
そりゃそうだろだって人間(にんげん)は
因為說著「那是理所當然的吧」的人們
希望(きぼう)無(な)しでは生(い)きられないからさ
沒有了希望就活不下去了啊
みんな心(こころ)のどっかで來世(らいせ)を信(しん)じてる
大家在心裹某處都是深信著來世的
昨日(きのう)の僕(ぼく)守(まも)る為(ため)に
只是為了守護昨天的我
笑(わら)うくらいなら
若然歡笑
泣(な)いたっていいだろ?
那即使我哭了也沒關係吧?
ねぇ止(や)まないの雨(あめ)が
吶不止的雨
夏(なつ)空(そら)を鮮明(せんめい)に描(えが)いたって
即使鮮明地描繪出夏日的天空
僕達(ぼくたち)は不完全(ふかんぜん)で
我們亦是不完美而
未完成(みかんせい)な
不成熟的呢